病気の話し
今日はリネ2は鯖合併と言うニュースでもちきりですが、全体の話を把握してないので、この話はあとでという事で、今日は父の闘病の話し。
私の家から病院まで車で45分。
毎日同じ時間に出て、同じ時間に帰ってきます。
そして毎日同じ100円ローソンで飲み物を買います。
治療費倒れとはよく言ったもので、何かと経費はかさむのが現実です。
普段は父とはあまり会話しませんが通院の車の中では会話はかなりあります。
母が他界するまで母ごしに父と接触していたためか、父の事が良く理解してなかった自分がいました。
そして父と向き合う人生が始まり、何となくですが「新しい父」を見た気がしてます。
それだけ私達にとって母親の存在は大きかったのですね・・
病院に行く途中の道
向かって右の店が普段から人が多く並んでいます。
観光名所らしいです。
外人さんもいます。
で、今は見慣れた
スカイツリーなども見えます。
そしておまけが、以前 尾崎豊が住んでいたと言われる、通称尾崎マンション
どうでもいいネタでしたねw
合計35回の放射線治療は父にとっては楽な物ではなかったと思うし、いまだに難しい状態で 摘出かどうかも決まっていないので精神的にもストレスは貯まるとおもいます。
闘病中でもこうして景色を眺めながらとか心に余裕はないけれど余裕を少しでも持って取り組んで行きたいものですね。
私はもう20年もリーゼントだったのですが、今回、願掛けでスキン頭にしました。
父の状態がはっきりするまで、頭を剃ります・・・
こういうことで少しでも父の痛みを分かち合えたら?じゃないですね、ただの自己満足かも知れません。
何をどうやっても後悔はするものですから・・・・・
母が他界した時に痛いほど味わいました・・・
でも、ここでおじさんの小言。
私は母の墓参りは行きますが何も祈りません。
それは理由があります。
墓前に立つときは「ここまでやったよ」と胸を張れるような自分になったときと決めてます。
親孝行は 親が死んでも出来ます。
それは「自分の親に自慢できる自分」になれたときと私は思ってます。
その目標は私は決めています。
諦めたらそこで結果、諦めなかったらそこは経過です。
「不可能を可能にし、可能を不可能にする男」と異名があります・・・
脳梗塞で倒れて店を失い。また店を出せた。
そしてこの店を発展させていく・・・・
母の夢が途中で終わりそして脳梗塞により幕を閉じたかのように思われました、医師にも一生車椅子とまで言われました、でもここまで来ました。
目標はあと少しです。
多くの人に迷惑をかけ、多くの人に助けられて今に至りましたがまだ夢は叶えてません。
だからその時まで私は墓前に立ちません。
そして父も死なせません!勇者だからそう簡単に死なないと信じてます。
父は明日が放射線最終日で、検査で鼻からなにか突っ込まれ癌をみられる検査をしますが
それが苦手で今からびびってます。
しかも夕飯は ナポリタンが食べたいと我がままを言ってました・・・日の丸の旗でも載せておやり!
おじさんはこうして熱い毎日をおくってます!
さぁみんなも熱い毎日を送ろうZE!