ひとつの時代を作った人の終わり
もう30年以上も前の事であろうか。
母に「この団地に美容師の偉い先生がいるの」と言われた。
意外にも母とも仲が良かったようで、紹介してもらった。
元アジア世界大会の優勝者で、アキノ大統領との会食の記事を読んだことも有る人。
理美容界に大きく貢献して今でも業界では有名な研究団体の発起人の一人である方。
技術を見た時は、純粋の手が加えられていない初期のサスーンカットでした。
サスーンカットも時代に合わせてカット技法が微妙に違います。
インターン時代にサスーン系の講師のカットを見た時は驚愕した覚えがある。
それ以来 技術者になってもサスーン系の講習に通いつずけました。
今思えば色々言われたな・・おかまみたいなカット講習行くなとか、理容にはそういう女性的なカットは要らないとか・・・・
散々言われたのまた思い出してなんか頭に来た・・・・
話を元に戻そう・・・
一見順調な先生の生活も色々あって団地に単身で引っ越しになった。
ここでは詳しい理由は割愛するが、店の売り上げ、店の権利などの財産を奥さんらに騙されて取られたらしい・・・
でも多分その原因は先生にもある気がする・・・
おまけに数年後 店の帰りに自転車で車に当て逃げされて大けがをして離婚して出した店も閉店。
駅前の良い所だったのに・・・
数回遊びに行きました。
その数年後になんとか動けるようになった先生をヤテの店に迎えた。
腕が上がりにくいとかあったが、総合的にヤテよりもうまかった気がする・・・
暇な時間に先生に色々教わった。まぁこれが来てもらった理由の一つなんですがね。
先生は常に髪の毛のつむじの流れを計算しているカットは、後にヤテが教わった宝物の一つとして残っている。
先生の言葉で「音符と数字は世界共通、カットは数字の計算が大きいからこれを覚えると世界で通用するよって。」
この言葉はヤテも講習会などで使い言葉の一つになりました。
で、ヤテの店も閉店して少し疎遠に。
でも父が同じ団地に居て、ヤテがそこに転がり込んだので先生との縁がまた復帰。
よく顔を合わせたものですがここ数年は身体が自由に動かず、去年自転車置き場で数時間座ってる先生を見つけて救急車を呼んだ。
身体が痺れて動けないって言ってた。
その日以来 先生に合う事もなく、今日団地に部屋の物の撤去の車が・・・・
先生の部屋だった。
業者の人に「縁が有る方で、その品物を廃棄するなら思い出の一つとして鋏を1本貰えないだろうか」とお願いしたが、やはりそういった事は出来ないと言われた・・・・
一見無慈悲に聞こえるが、無理を言ってるのはヤテの方である・・・・
ならばブログに思い出として書き残して置こうと思いました。
先生の技術の一部はヤテも継承しました、そしてこれからも幾人もの人に継承されていくでしよう。
そんな偉い人の半生でした・・・