何でまた行くんだ?
と父に言われた。
自分でも判らない。
ただ、理由を付けるならば「死に方が気に食わない」のかもしれない。
1回なら義理、2回目からは意思という言葉もある。
逢いに行く答えなんかは判らないし知らないが、行きたいから行く。
ある分岐点でこの人は右に行って私は左に行った。
この分岐点での選択は大きな環境の違いが出たと思う。
ほんの小さな他愛ない優しさが時には他人を救い、人生を大きく変える事も有りえるということです。
変えた人生をどう選択して進めて行くかが人生のひとつであり、結果は全て自分に有るものと私は思ってます。
もし他人のせいにするならなばそれは「他人の人生で自分の人生ではない」
自分の人生と胸を張って生きるのなら、やはり自分が選択したと思わないといけないのです。
私の中には「あの人が言ったから」とか、責任転換の言葉はありません。
全て自己責任です!エッヘン
環境の違いで選択肢が変わった。
そして、「もし」があるなら同じ道を歩んでいたかも知れない人物。
その人が最後を迎えるにあたって私は何かを感じてるというか求めてるのかも知れない。
1時間半殆ど一人で話し、私はうなずいていた、苦しそうに話してたが笑顔で所々記憶違いをというか、都合よく解釈していてまるで子供が夏休みの出来事を自慢しているような感じだった。
「ある意味もう死んでいる」のかも知れない・・・・・
この人の頭はもう「この人の感情はここにはもう半分いないのかな」と感じた。
回復の見込みすらなく外出も出来ない、酸素を10というMAXにしていないと会話すら出来ないし、トイレすら難儀らしい・・・
生活保護を受け、週に何回かのヘルパーさんが来てるらしく、死んだらそのまま無縁仏になるそうです。
10年前まではベンツに乗り、繁華街を闊歩していたのに・・・たった10年で・・・
まぁ私も人の事は言えないすがねw
引き取り手も親族も家族もいない最後を私は見届けたいと思ってるのかも知れない。
ただそれは優しさだけではないような気がするし自分の中の何とも言えない闇を感じた。
昔、そう・・・私がまだ幼稚園か小学生の低学年だったころ、母の友人の彼氏で、彼女に逃げれて泣いていた人・・・・
兄のように慕っていた時期もあった人。
私の人生最大の分岐点に関わった人。
私は母の葬儀の時に撮った写真を数枚渡した。
それを観て、「お母ちゃん・・・もうすぐ行くからな・・それで父ちゃんを一緒に待とう」と言ってたが、あんたは間違いなく「地獄行きだから逢えないよ・・・あ・・・俺もだw」と思ったが言わなかった。
やはり何ていうか、過去に母が面倒を見ていて、そして母を今でも慕う言葉が出る人には冷たくできない・・・・
その言葉には嘘は感じれらなかったから・・・・
こうしてヤテはいまだにモヤモヤした日々を送っている・・・・・
お父ちゃんのオペもあるんだよおお・・・・・多難ですなw