病気の話し
父が喉頭がんになった。
癌=死というイメージがあり数年前に亡くした母の時の事を思い出した。
母は急性の心臓の動脈りゅう破裂で即死だったらしい。
寝た時と同じ状態で死んでいた・・・
既に死んでいる母を父は気が付かなかったくらいだ・・・
前夜に母に逢い「おやすみ」が私と母の最期の言葉となった。
人が死ぬと言う恐怖、身内が死ぬ・・父が・・・
もう頭がいっぱいで・・・・・・・
父の癌はステージ2で声帯摘出か放射線かのギリギリの線だったが、医師は放射線治療を選んだ。
その日から父は禁煙して喫煙者は父の周りでは禁煙となった。
放射線治療の日医大まで車で45分。
店を閉めて家族総出で父の支援をすることを決めた。
普段あまり相手にされない父は、癌になり周りから心配されかまってもらえる事がいくばくかの緊張を解いてにこやかになり、食事も父に合わせたメニューになり父は太った・・・
逆にわたしは毎日がピリピリしていて医師の挙動や言葉に一喜一憂している。
何も知らない人は「大丈夫よ~」なんて言う人もいるが。その「大丈夫」に噛みつく私がいる・・・
何がどう理由で大丈夫ですかと・・内心では範囲魔法打ち込むぞこの野郎!2刀炸裂するぞ!
とか気安く「大丈夫」なんて言葉を吐くんじゃねぇよ!と思ってしまうくらいに心が荒んできている。
今日は分岐点の日でした。
放射線治療の効果が感じられずも後半に急に伸びてきて腫瘍を小さくしている。
月曜の会議でこのまま行くか手術かをきめると。
今日もし放射線治療に来て、先に診察に回されたら覚悟はしといて下さいと先週の木曜に言われた。
それで尚更心が荒み荒れ狂う私、巻き込まれないように最低限しか話さない妻。
耳が遠くて話が聞こえて無く、理解していない父・・・
昨夜その医師の内容を初めて理解して「声帯摘出」の可能性が明日あるという事・・オィオィ
そして今日、病院で放射線治療をして来ました・・・
吐くくらい緊張した・・・・
受け付けは普段父が行くが、今日は私が行ったがきっとすごい眼で受け付けをしたとおもう。
「頼むから余計な事言うんじゃねえよ・・普段の通り何事もなく受け付ければみんなが幸せになれるんだよ・・・」と厨2病をこじらした感情が出た。
普段の通り受付~放射線。
父の名前が呼ばれた時は大きなため息が出た。
癌治療はこういった綱渡りをなんども経験していく・・・
落胆と希望の繰り返し・・・
できることは、「奇跡の準備」
奇跡を生むにはまず、すべきことをすること、
なるようにしかならない、は すべきことをした人の言葉であり何もしない人や周りが言う物ではないと私は思う。
この先も希望とそして絶望も捨てないで父の闘病を支援して行こうと思う。
そしてこの日記を読んで頂いてくれる人の中にもし闘病中方がいましたら
ここにも闘病している奴がいるという事を時々思い出してください。
今日の日記は長くなりました。